トップページ > 名作に見る住まい
乱歩の東京万華鏡『屋根裏の散歩者』

 ロンドン随一の探偵がシャーロック・ホームズなら、日本を代表するのは、探偵小説の幕開けと共に登場した明智小五郎だろうか。
 大正から昭和の初期にかけての東京は、衣食住のあらゆるジャンルで新旧・美醜が入り混じり、迷宮の様相を呈していた。空気は甘く闇は濃く、街は怪奇と謎と幻想に満ち――そんな「魔都」を、明智小五郎は少年助手を従えて闊歩する。私たちも彼らのあとに従い、この時期から新たに生み出された「アパート」という名の犯罪の温床を、探偵の視線で探ってみよう。

〈東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央に庭を囲んで、そのまわりに枡形に部屋が並んでいる作り方でしたから、したがって屋根裏もずっとその形に続いていて、行き止まりというものがありません。〉

 『屋根裏の散歩者』は、大正中期以降に多く建てられた、アパート形式の下宿館を舞台にしている。主人公・郷田三郎は、働かなくても食べるのには困らないという、いわゆる「高等遊民」と呼ばれる青年である。彼は刻々と変化する東京に住んでなお、都会から与えられる刺激に満足できず、退屈の虫をもて余していた。そんなときに出会ったのが、名探偵・明智小五郎である。
 明智との出会いをきっかけに犯罪に興味を持った郷田は、最初は犯罪記録や探偵小説を読み漁ることに愉しみを見出していたが、次第にそれではものたりなくなり、目についた人物を尾行してみたり、女装して街を徘徊するようになる。強烈な刺激を得ることだけが、人生の目的になっているのだ。こうした底無しの倦怠と渇望は、当時の若い都市生活者が共通して抱いていた、曖昧な虚無感の産物だった。 







 絶えず刺激を求めねば気がすまない性分からか、郷田には、激しい転居癖があった。完成を待ちかねて引っ越した新しい宿所・東栄館は、先にも述べたように、当時やっと一般的になりはじめたアパート形式の下宿館である。
 写真に示したのは半木造の下宿館と、下宿館からさらにもう一歩進んだ、現在のアパートの雛型とも言える同潤会の鉄筋コンクリート(RC)造のアパートである。同潤会は関東大震災後、帝都復興と住宅経営のために発足した組織で、三階建てのRC造アパートを数多く建設した。
 東栄館はこれらよりも数年前の建物で、当時「二階建洋式長屋」と呼ばれた、木造二階建てのアパートである。おそらくファサードや屋根の部分だけが、洋風に作ってあるのだろう。同潤会アパートのような給湯設備がないかわりに賄いつきで、一間+押入れの、独身者専用の住まいである。いまのワンルーム・マンションのようなものだ。

〈部屋々々には、さも厳重に壁の仕切りができていて、その出入り口には締まりをするための金具まで取りつけてあるのに、一度天井裏に上がってみますと、これはまたなんという開放的な有様でしょう。〉
 さて、新築アパートの東栄館で注目したいのは、各部屋に「錠」がついている点である。文中で強調されているように、錠の存在は屋根裏と並んで物語の核になると同時に、東栄館がいかに最先端の建物であるかを物語っている。無論、現在の住宅についている錠に比べればごく単純なものだろうが、錠と鍵の出現は、近代の住居の変遷において、重要なターニング・ポイントのひとつになっている。
 錠の象徴するものは、「プライバシー」である。『屋根裏の散歩者』以前の日本の住宅に、錠というものはほとんど存在しなかった。プライバシー(私事・私生活の非公開)という概念そのものが、大正中期までの日本にはなかったのである。先に紹介した江戸時代の長屋がそうであったように、かつての住環境では、私生活は周囲にさらけ出されるものであった。夫婦喧嘩も鼻歌も、隣近所に筒抜けで当然だったのである。だが都市化・近代化が進むにつれて東京の人口は増え、それだけ人々の生活には軋轢が増した。この軋轢とつきあっていくために、人々は、内面と外面を使い分けていくことを強制されるようになったのである。

〈誰も見ているものがないと信じて、その本性をさらけ出した人間というものを観察するだけで、充分面白いのです。〉
 錠の出現によって、人々はプライバシーを得た。鍵をかけた個室のなかだけは、他者の視線を意識しなくてすんだのである。社会生活において、幾つもの外面を持つことを要求された近代以降の人々は、ここでようやく本来の自分を取り戻した。個室とは、そういう癒しの場だったのである。
 だが、それは同時に犯罪の温床にもなった。鍵をかけた個室の内部でなら、はだかになっていようと悪事を働いていようと、他者に知られる恐れがない。そして外部からの接触を断つという錠の働きが、ミステリーの定番・密室殺人事件の舞台を用意したのである。
 主人公・郷田は、部屋の扉に「錠」がついていることによって「他者に知られる恐れがない」ことを前提に、屋根裏からの覗き見を続ける。他者にこの奇行を知られたら、その時点で犯罪者とみなされる、という自覚は持っていた。だが、押し入れの天井板から屋根裏への抜け道を発見したのは、郷田だけであった。つまり彼にとっての屋根裏は、自分の部屋の延長だったのである。自分の部屋の延長であるなら、外界との唯一の接点である扉に錠がかかっている限り、彼の行いはプライバシーの砦のなかにあって、外部に漏れる懸念はまったくない。つまり、犯罪にはならないのだ。
 しかしこうした屋根裏の散歩も、郷田の退屈の虫を長く封じこめておくことはできなかった。郷田は屋根裏の散歩をするうち、東栄館の住人で最も気に入らない遠藤という青年の密室殺人を思いつき、それを実行するに至る。遠藤が眠るとき、彼の口がちょうど天井の節穴の真下に来ることを利用して、毒殺を図ったのだ。のちに明智小五郎が、状況証拠と得意の芝居で郷田の犯罪を見事に暴いてみせるが、結局、殺人の動機や証拠は曖昧にされたまま、物語は幕を閉じてしまう。

 『屋根裏の散歩者』で扱われた密室殺人は、近代化した住環境が引き起こした事件である。たとえばマンションに住む青年が、子供の声やピアノの音がうるさいと言って殺傷事件を起こすことがある。これは郷田が思いつきで遠藤を殺した例と、大差ない。どちらにも、明確な理由がないのだ。押し込められて行き場をなくした、マイナスの感情の爆発で起こった事件なのである。
 郷田の退屈の虫は、言い換えればフラストレーションの塊である。一枚の扉とひとつの錠で、公私の境界線を明確にされてしまった近現代の人々は、個室を癒しの場とする一方で、ままならぬ日常生活の怒りを溜めこむ場・もしくは発散する場にもしてしまった。昨今の青少年の引きこもり問題や幼児虐待も、その一例だと言っていいだろう。引きこもりの青年たちは、他者の視線を極端に恐れるがゆえに、鍵をかけた自室から出ることができない。子供を虐待する親は、プライバシーの確立された住宅のなかで、虐待を行う。他者に知られる恐れのない場所でなら、何事も犯罪にはならないからだ。

 進化し、合理化した住環境は、私たちの生活をより豊かで快適なものにしてくれた。だが、光には必ず影が寄り添う。いま大きな揺らぎを見せている「家族」の問題に、ひとつの解答をもたらすものがあるとすれば、それは個人と個人の関わりの基礎となる家庭、その場となる住宅のありようを見つめなおすことなのかもしれない。


文 倉林 章

参考文献
江戸川乱歩傑作選 江戸川乱歩 新潮文庫
乱歩と東京 松山 巌 ちくま学芸文庫
少年探偵団 江戸川乱歩 ポプラ社