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名探偵は窓辺にたたずむ 『シャーロック・ホームズ』


 名探偵といえば?
 こう聞かれたら、おそらく10人中9人までが、シャーロック・ホームズの名をあげるだろう。19世紀後半の英国に生まれ、瞬く間に世界中に勇名を馳せた、ロンドン随一の探偵紳士。彼とともに有名になったべイカー街221Bの下宿部屋で、このちょっと偏屈な名探偵は、いったいどんな生活を送っていたのだろうか。

〈「僕が目をつけている部屋というのは、ベイカー街ですがね。部屋としちゃ申し分ない手ごろさなんだ」『緋色の研究』〉

 探偵として活躍するホームズの棲み家は、先にもあげたロンドンのリージェンツ・パーク付近の一画・ベイカー街221番地のBにある。Bというのはフランス語のBis(第2の)に由来し、ひとつの番地に2つの住所がある場合に使われる。すなわち221番地の甲が大家で、乙(B)がホームズと相棒ワトスンの住所ということになる。
 ホームズがベイカー街を選んだ理由のひとつに、立地の良さが挙げられるだろう。もとは高級住宅地だったベイカー街だが、地下鉄の駅ができてからは商業地としての性格が強まり、中流階級の上(アッパー・ミドル・クラス)が住むようになっていた。郵便局・電報局ともに近く、地下鉄に加えて、乗り合い馬車の路線も走っている街。2人が多用した辻馬車(タクシー)の乗り場も、ベイカー駅のそばにあったらしい。いまも簡素なファサードと横一列に並ぶ窓を備えた4〜5階建てのレンガづくりの家々が、当時の面影をたたえて列をなしている。

 こうした立地条件や居室の状態は合格点だったが、家賃の面でホームズは躊躇していた。一人で住むには部屋数も多く、また高すぎたのである。そこでホームズは部屋代を分担するルームメイトを探しはじめ、生涯の友人となるワトスンと出会うのだが、大家のハドスン夫人は、いったいどんな部屋をいくらくらいで用意していたのだろうか。
 共同生活をはじめた当初のホームズの収入についてはさだかではない(ワトスン曰く職業さえも)が、軍人恩給で暮らしていたワトスンのほうは、収入がはっきりしている。

〈1日11シリング6ペンスの支給額が許す限りの自由の身であったのだ。…ロンドンで私はしばらくの間、ストランドのホテルに滞在して、持っていた金をかなり不相応に使い果たしていた。『緋色の研究』〉

 1日11シリング6ペンスは、年収にして約208ポンド。住み込みの家庭教師の年収が48ポンド(『ぶな屋敷』)、新聞記者の年収が104ポンド(『唇のねじれた男』)というから、ワトスンの収入はかなり良い部類に入る。これを使い果たしていたとすると、結構な浪費家だ。これではイカンと思ったワトスンは、ホテル暮らしから下宿生活への切り替えを決意する。そうして見つけたベイカー街221Bの下宿代(賄い・光熱費等込み)を「格好な値段」と評しているところを見ると、208ポンドの年収から下宿代を引いても、そこそこの額が手元に残ったのだろう。ごく小さい居間と寝室の2部屋で年に130ポンド(『赤い輪』)だから、ハドスン夫人の用意した部屋は、共同の大きな居間にホームズとワトスンそれぞれの寝室がついて、倍額の年に250ポンドといったところだろうか。 

 これなら1人の負担額は125ポンドほどとなり、ワトスンは余った金を被服費や交通費、娯楽費に当てることができる。下宿代としては、妥当な線だろう。かくしてホームズとワトスンは、ベイカー街221Bで、ワトスンが結婚するまでの8年間、共同生活を送ることになったのである。

〈そこは居心地の良い寝室2つと、気持ちよく家具の備えてある、大きな窓が2つついた明るく風通しの良い大きな居間一室からなっていた。『緋色の研究』〉


写真(1)

 次に、ホームズとワトスンの住んだ部屋の内部を眺めてみよう。写真は、シャーロキアンの端くれである私が、ロンドン旅行の際に、ベイカー街のホームズ博物館などで撮ったものである。大家のハドスン夫人は、一階を自分の居室とし、2階・3階をホームズたちに貸して、4階にメイドを住まわせていた(『緋色の研究』)。炊事場は大抵半地下にあるので、写真(1)のように、出入り口はふつう二箇所ある。数段の階段を上っていく一階の正面玄関と、逆に階段を降りたところにある勝手口だ。使用人や出入りの商人が使うのは、勝手口のほうである。

 ホームズとワトスンは正面玄関から入り、玄関ホールから17段ある階段(『ボヘミアの醜聞』)をのぼっていく。すると2人の居間兼探偵事務所となる大きな部屋があり、隣にホームズの寝室、3階にワトスンの寝室があった。写真(2)(3)は、ホームズ博物館で再現されている居間の様子である。

〈一隅に化学実験の場所もあるし、酸で汚れた松板ばりの実験台もあるし、棚の上には切抜帳や参考書の類が並んでいる。それから図表類、ヴァイオリンのケース、パイプ架け、タバコを入れたペルシャのスリッパまでが一目で見てとれた。『空家の冒険』〉


写真(2)・(3)

 ざっと眺めていくと、まず上に大きな鏡のついた暖炉が目に付く。その脇に食卓と椅子があり、窓辺にはホームズとワトスンそれぞれのデスクが、壁際にはホームズの化学実験机と本棚があった。そのほかに来客用のソファーに肘掛け椅子、クッションを置いた籐椅子などがところどころに置かれている。

 こうして見るとなかなか快適そうだが、実際はホームズのせいで、部屋のなかはひどく乱雑だったらしい。

〈ホームズはパイプ架けを右側の手近な場所に据えて、今まで研究していたらしい新聞を、クシャクシャと山のようにそばへ積んでいた。『青い紅玉』〉

 身なりこそこぎれいにしていたが、ホームズは、部屋の整理整頓にはあまり関心がなかった。事件に関する書類や10種類を越す新聞をあたりかまわず投げ出し、事件の記念品をそこいらじゅうに(バター皿の中にまで)散らかしている。それだけではない。まだ返事を出していない手紙を暖炉棚のまんなかにナイフで刺しておいたり、悪臭を放つ実験を平気で行ったり、挙句の果てには壁を拳銃で打ち抜いて、ヴィクトリア女王の頭文字を刻んだりするのである。こんな迷惑な下宿人に対して、大家のハドスン夫人は非常に寛大で協力的だった。ホームズは女性嫌いではあったが、女性に対しては常に紳士的な態度を貫いた。そうした態度が、ハドスン夫人の信頼と好意を、一層確かなものにしていったのだろう。

 いまでも、ベイカー街221B(現在は銀行)には、世界中からシャーロック・ホームズに宛てた手紙が届くという。私たちにとって、ホームズは架空を超えた存在になっているのだ。いまは引退して姿をくらましているが、彼の脳裏を刺激する不可解な殺人の解明や奪われた国宝の捜査を依頼されれば、きっと私たちの前に現れる――そうかたく信じられているのである。

 数々の謎を解き明かしたホームズであるが、彼とその相棒の身辺には、いまだに多くの謎が残されている。ベイカー街221Bの様子にしても、ここに挙げたのは、2人の生活を取り巻いていたもののほんの一部にすぎない。けれど、謎は謎のまま、残ったほうがいいときもある。想像の翼を自由に広げることができるからこそ、私たちは彼ら2人の冒険譚を、繰り返し楽しむことができるのだから。


文 倉林 章

参考文献
シャーロック・ホームズ全集 コナン・ドイル 新潮文庫
NHKテレビ版シャーロック・ホームズの冒険 ピーター・へイニング 求龍堂
〈 〉は本文からの引用、( )内の題名は各作品のタイトル。
引用および邦題は、主として新潮文庫版に拠った。